産み落とせ ワイヤードの落とし子 母のワイヤードを駆けろ。
1999年は大きな飛躍と変化の年となった。そしてこれまでの年と同様,ウェブは1999年も,大方の予測を上回るスピードで成長を遂げた。だが,ウェブはいまだ十代の未成年であり,まだまだ経済上あるいは社会上の経験を積む必要がある。1999年の出来事101には,Webが見せている「思春期の冒険」や「過ち」の部分が多く見られる。
テクノ・ポップ,パンク,ニュー・ウェイブが産声をあげる70年代後半から80年代。日本という国では,「家庭」が失われた。登校拒否,家庭内暴力,離婚の急増…。家庭というものがなくなって,親という存在が意味を失った。その時,家を失った子供たちは,生きる場所として「街」へ飛び出した。街こそ,子供たちを包み込み,慰め,癒す存在としての「親」であるとした。子供たちは街で多くのことを学び,街で生きた。サエキケンゾウは,それを表現し,「母子受精」を作詞した。
だが,街は,現在ではとても空虚な存在だ。子を受け入れるには,現代の街はちょっと年をとりすぎてしまった。では,今,我々の親たるべきフィールドはどこか? 云わずもがな,ワイヤードである。寂しいときは慰め,危うい社会の中で多くのことを学ばせてくれる。我々はワイヤードに包み込まれているような気もするし,飲み込まれているような気もする。実際の家庭と,おんなじだ。ワイヤードこそ,私の家。ワイヤードこそ,私の場所。いろいろなことがあった99年,ワイヤードは,家としての機能をより高めて,我々を飲み込んでいく。
|